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大阪地方裁判所岸和田支部 昭和34年(ワ)60号 判決

原告 川上金蔵

被告 株式会社朝日製鋼所

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(以下昭和三四年四月四日受理の休業補償等請求事件を旧訴、同三六年二月二七日受理の損害賠償請求事件を新訴と呼ぶ)。

原告訴訟復代理人は、旧訴の請求趣旨として、被告会社は原告に対し、金二五〇、六九五円を支払へ、昭和三四年三月二六日以降原告の疾病が治癒するまで一日金四六七円八〇銭の割合による金員を支払へ、訴訟費用は被告会社の負担とする。新訴の請求趣旨として、旧訴の請求と選択的に、被告会社は原告に対し金六〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払へ。との判決を求め、

第一、旧訴の請求原因として、

一、原告は被告会社において昭和二四年以来荷造工として勤務している者である。

二、昭和三二年二月二三日原告が職場において稼働中起重機に吊下げられた重量五屯余のワイヤロープのかけられたドラムの間に挟まれ背胸部打撲傷肺臓損傷の傷害を受けた。

右は起重機運転無免許の工員赤坂邦馬が被告会社の技術長薮政治郎の命令で右起重機を運転中その操縦を誤つたため生じたものである。

三、原告は右傷害のため受傷当時から泉佐野市若宮町一、二三一番地の二山田外科において医師山田正実の治療を受けて現在に至つているが猶ほ治癒に至つていない。即ち、右腕は水平下方四〇度以上には激痛を覚へて上げることができないうえ、胸痛は治療の見込なしと診断されている。

四、これより先、昭和三二年四月一二日で原告は満五五才となり就業規則に定められた停年に達したのであるが、同月一五日被告会社事務所で停年になるから判を押せと迫られて書類を示されたが、傷害で休業中なのに停年退職を迫るのは話がわからないと拒否し、その後もこのことに関し交渉を続けてきた。被告会社労務係では三年間は平均賃金の六割の補償をするから安心して治療を受けるようにと言われた。

五、ところが、同年八月二日被告会社労務係比夫見知雄が原告方に来り、退職金を受取つて書類に判を押せ、押さなければ訴へると脅した。原告は療養のため休業中の解雇は不当だと抗議したが脅迫に屈し已むなくこれを受取り書類に捺印した。これにより被告会社が原告を同年四月二一日に遡つて停年退職したものとして扱つていることを後日知つた。

六、その後昭和三三年六月二三日休業補償は一方的に打切られた。

七、被告会社が原告に退職を迫つた昭和三二年八月頃は未だ療養のための休業期間中のことであり、原告は前記の事情で已むなく退職金を受領したが退職を承諾したものではない。停年退職と雖も解雇であつて労働基準法第一九条、被告会社の就業規則第八九条二号により制限され、前記解雇は無効である。

八、又労働基準法第一九条、第七六条、就業規則第六五条の休業期間は客観的科学的に労働者が療養のための休業を要するか否かにより決定されるもので恣まゝな認定により左右されるものではない。そして原告の前記傷害が未だ治癒せずそのため労働することができないことは前述の次第で明かである。

九、よつて、被告会社は原告に対し休業補償を打切つた昭和三三年六月二三日の翌日から昭和三四年三月二五日まで受傷当時の平均賃金一日金七七九円七二銭の六割、金四六七円八〇銭の割合で二七五日分の休業補償費を支払い、且つ同日以降引続き同割合の休業補償をなす義務がある。

一〇、又、原告の前記傷害により生じた胸痛は治癒の見込なきものと診断され、生涯この苦痛に堪える外なくなつたのであるが、これは労働基準法第七七条、同別表第一、第一二級の一二号に該当するから、同条により平均賃金七七九円七二銭の一四〇日分の障害補償をなす義務がある。

一一、更に、原告が労災保険による治療を受けられなくなつた後現在まで前記山田外科において受けた治療に対する費用は原告が支払い、その治療費は金一三、〇〇〇円に達し、これは労働基準法第七五条、就業規則第六四条により被告会社が支払うべきものを原告が支払つたのであるから、被告会社は法律上の原因なくして出捐を免れたものである。故に、被告会社は右金員を原告に返還する義務がある。

と述べ、被告会社の主張に対し、

一、就業規則に停年退職が規定されているからと言つて当然に労働基準法第一九条の制限を免れるものではない。行政当局の解釈も、停年に達したとき自動的に身分を失うことが従業員間に十分徹底している場合は「停年退職」であるが、然らざる場合は「停年に達した場合は解雇しうる」旨の規定に過ぎず労働基準法第一九条の制限を免れない、としているのであつて、右の見解は正当である。そして、被告会社の「停年制」は右に言う「十分に徹底している場合」に当らない。

二、労災補償保険が政府の管掌するものであることは被告会社主張のとおりであつて、その保険給付が不当に打切られたことについて政府に対し審査請求提訴等の不服申立を為し得ることも当然であるが、このことは労働基準法に定められた使用者の義務の免除を意味するものではない。使用者の補償義務が本質的第一次的なものであつて、労災補償保険は便宜的第二次的なものである。従つて、保険給付が不当に打切られたときは右保険法にもとずく異議の申立を為し得るは勿論、使用者に対しても要療養の客観的事実に徴して引続き補償請求をなしうるものである。

と述べ、

第二、新訴の請求原因として(選択的請求原因)、

一、原告の負傷は旧訴において述べたように、起重機運転無免許の工員赤坂邦馬が被告会社の技術課長薮政治郎の命令で起重機を運転中その操縦を誤つたため生じたものであるから、被告会社は民法第七一五条により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

二、負傷前における原告の体躯は極めて健全であつて壮者を凌ぐ程であつた。症状固定と認定されたのは昭和三三年六月で当時原告は年令五七才であつたから、仮に完全に治癒していたとすれば、七〇才まで一三年間稼働でき、一ケ月の稼働日数を二五日(従つて一三年間の稼働日数は三、九六五日)、日収を金四〇〇円とすれば、その収入合計は金一、五八六、〇〇〇円に達する。然るに、原告は前記のごとき負傷でその収入を損失したのであるから、被告会社に対し、旧訴の請求と選択的に、右損害金のうち金六〇〇、〇〇〇円の賠償を求める。

と述べた。

被告会社訴訟代理人は、新訴につき訴却下の判決及び新旧両訴につき主文同旨の判決を求め、

第一、旧訴の請求原因に対し、

原告が被告会社の従業員であつて昭和三二年二月二三日職場において負傷し、山田外科病院において治療を受け、療養補償費、休業補償費等を受領していたこと、及び原告が同三二年四月一二日満五五才となり被告会社の就業規則で定められた停年に達したので退職金を受けたこと、並びに同三三年六月二三日をもつて原告に対する休業補償が打切られたことは認める。その余の事実は争う。

と答弁し、次いで、

一、被告会社の就業規則に定める停年制は停年に達した翌日をもつて雇用契約が自動的に終了する旨定めたもので「解雇」ではなく、解雇制限規定に違背するかどうかの問題を生じない。

二、原告が療養中に受けた療養補償費、休業補償費は労働者災害補償保険法に基き政府から給付されたもので、被告会社が補償を行つたものでない(参照、就業規則第六二条「従業員が業務上負傷、疾病又は死亡した時はこの章の定めによつて補償を行う。但し補償を受くべき者が同一の理由によつて労働者災害補償保険法その他の法令によつて保険給付を受けたときはこの補償を行わない」)。そして政府は昭和三三年六月二三日原告の負傷は治癒したものと認定し、休業補償を打切つたのであるから、これに不服があれば政府に対して交渉すべきであつて、被告会社に為すべきでない。

と主張し、

第二、新訴に対し、

一、訴却下を求める事由として、

(一)  請求の基礎に変更がある。即ち、原告は従来職場において業務上傷害を受けた事実関係を主張し、労働基準法に基き療養補償費及び休業補償費を請求してきたのに、新訴においては、右傷害が被告会社の被用者に対する選任、監督を怠つた事実関係を主張して民法所定の不法行為に基く損害賠償を請求するものであるから請求の基礎を変更したものである。

(二)  仮に請求の基礎に変更がないとしても、これを許容することは著しく訴訟を遅滞せしめる。

と述べ、

二、新訴の請求原因に対し、

仮りに被告会社に賠償責任があるとしても、その賠償請求権は時効に因り消滅している。即ち、原告が負傷したのは昭和三二年二月二三日で、当時原告は直ちに損害及び加害者を知つた筈であるのに、三年間その請求権を行使せずに同三五年二月二三日を徒過したのであるから、民法第七二四条に因りその請求権は時効に因り消滅している。

と抗弁した。(証拠省略)

理由

第一、旧訴について、

一、原告主張の事実を、その主張の順序に従つて判断する。

(一)  原告が被告会社の従業員であつたことは当事者間に争いのないところ、その就職年及び職務については被告会社の争うところであるから検討してみるのに、原告が被告会社に昭和二四年就職したと認めるに足る証拠はなく、証人角野恵司の証言に徴すると、その就職は昭和二六年以降であつて、その職務は荷造工であつたことが認められる。

(二)  昭和三二年二月二三日原告が職場において負傷したことは当事者間に争いのないところ、その負傷の原因については被告会社の争うところであるから検討してみるのに、成立に争いのない甲第一号証の一と前記角野証人及び証人山田正実の各証言を綜合してみると、原告が職場において稼働中被告会社の電気工員で起重機運転の免許を有しない赤坂邦馬の運転する起重機に吊下げられた重量約五屯のワイヤロープのかけられたドラムの間に挾まれて背胸部打撲及び肺臓損傷の傷害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠がない。原告は右起重機の運転を赤坂工員に命じたのは被告会社の技術長藪政治郎であると主張しているが、これを認めるに足る証拠がないので、その主張は採用できない。

(三)  原告が右の傷害により泉佐野市若宮町一、二三一番地の二山田外科病院(医師山田正実)において治療を受けたことは当事者間に争いのないところ、(イ)その治療開始の日、(ロ)現在猶ほ負傷が治癒していないかどうかは被告会社の争うところであるが、(ロ)については次項二において判断することとして、こゝでは(イ)についてのみ検討してみると、治療を受けた日が受傷当時、即ち昭和三二年二月二三日であるとの原告の主張を認めるに足る証拠がなく、前記山田証人の証言に徴すると、それは負傷した翌々日たる二五日であることが認められる。

(四)  原告が昭和三二年四月一二日満五五才となり被告会社の就業規則に定める停年に達し、原告が退職金を受取つたことは当事者間に争いのないところ、原告は被告会社の事務員が原告に退職を迫つて種々脅迫めいた行為に及んだとか、三年間は平均賃金の六割を補償するから安心して治療を受けるようにと申向けた等と主張し、被告会社はこれを争つているので検討してみるのに、原告の全立証に徴してもその主張するような事実を認めるに足る証拠がないので、右主張は採用できない。

次に、原告は停年退職と雖も解雇であるとの前提のもとに、前記傷害治療中の原告を停年退職せしめたのは労働基準法第一九条、就業規則第八九条二号に違反した無効な処分であると主張しているが、就業規則はその企業内における一つの法規範たるの性質を有するものと考えられるので、その規則に定年制度が設けられている以上、労働者が停年年令に達すると必然的に雇傭契約が終了するものと考えられ、使用者が労働者との契約を一方的に解約する解雇とはその性質を異にするものと解されるので、原告その余の主張の判断を省略して、原告の右主張は採用できない。

二、休業補償及び治療費立替金について、

原告の前記傷害が現在猶ほ治癒に至っていないかどうかについてみるのに、前掲甲第一号証の一に照らすと、昭和三四年五月一四日現在において医師山田正実は、胸部右中葉において増殖性浸潤を認め、第三、四肋骨が軽度に膨隆し、右ヒ肢挙止の際疼痛を訴へ、胸痛は天候により増減するも加療により全治の見込なし、と診断されているが、前記山田証人の証言に徴すると、胸部増殖性浸潤は胸部打撲に因り生じたものではなく打撲前に浸潤があつたものと認められ、更に、右証言と証人森本隆繁、同西保彦也の各証言を綜合すると、昭和三三年六月二三日当時において原告を診断した医師山田正実及び大阪赤十字病院の間外科医長がいずれも原告の右傷害は固定し治癒したものと診断していることが認められ、亦前記山田証人の証言によると、原告が現在猶ほ疼痛を訴へるので罨法加療を続けているが、その疼痛は原告の本件訴訟に対する神経衰弱に因るものであるから本件の解決と共に治る性質のものであることが認められるので、前記傷害が猶ほ治癒に至つていないとの原告の主張は認められない。

そこで、原告請求の休業補償費及び治療代立替金について看るのに、昭和三三年六月二三日限りで原告に対する療養補償費及び休業補償費が打切られたことは当事者間に争いのないところ、右に述べたように原告の傷害は右日時において固定し治癒しているのであるから、その日以降の休業補償費や治療費を被告会社に請求することはできない。

三、障害補償について、

原告は、前記傷害に因り生じた胸痛は治癒の見込なきものと診断され、生涯この苦痛に堪える外なくなつた、と主張し、これを前提として障害補償を求めているが、胸痛が本件事故に因り生じたものでなく、しかも、事故による傷害が昭和三三年六月二三日治癒したことは先に認定したとおりである。たゞ前掲甲第一号証の一に照らすと、昭和三四年五月一四日現在において猶ほ第三、四肋骨に軽度の膨隆の存することが認められるけれども、これが果して障害補償の対象となるべき障害かどうか、又仮に、障害補償の対象となる障害としても、原告主張の別表のどの級に該当する障害かは、原告の全立証に照らしてもこれを認めるに足る証拠がない。結局、後遺症の存否が明らかでないので、原告その余の主張を判断するまでもなく、原告のこの請求も亦認めることができない。

四、猶ほ、被告会社は、原告が労働者災害補償保険法に基き政府から給付さるべき療養補償費、休業補償費を打切られ、又は障害補償費の給付を受けられないことに不服があれば、それは政府に対して交渉すべきで、被告会社を相手にすべきでない、と主張しているが、政府は被告会社に代つて右のような各給付を為しているのであつて、右各種補償の義務者は被告会社であるから、政府の措置に対し不服があれば政府に対し審査の請求等ができると同時に、本件のように被告会社を相手として訴を提起することもできるわけであるから、被告会社の右主張は理由がない。

第二、新訴について、

一、被告会社主張の訴却下の事由について、

(一)、請求の基礎に変更があるかどうかは、旧訴において主張された事実と新訴において主張された事実とが全く無縁のものであるかどうかによつて判断すべきで、それが無縁であれば請求の基礎に変更をきたすこととなるであろうし、そうでなければ請求の基礎に変更をきたさないものと考えられるところ、本件においては旧訴の事実も新訴の事実も共に職場における原告の負傷と言う事実に立脚し、旧訴においてはこれを労働基準法にもとずいて各種の補償費請求をなし、新訴においてはこれを民法にもとずいて損害賠償請求をなしているに過ぎないから、請求の基礎に変更ありとは言へない。

(二)、著しく訴訟を遅滞せしめるかどうかは、新訴を完結するに要する見積時間が著しく長日時を要し別訴を提起させるのと余り変りがないような場合かどうかにより判断すべきものと考えられるところ、本件の場合は右に述べたように基礎事実が殆んど同一であるから、新訴の審理は殆んど旧訴の審理範囲内に含まれるので、新訴の提起が著しく訴訟を遅滞せしめるものとは言へない。

故に、被告会社の新訴却下の申立は理由がない。

二、本案について、

被告会社は、仮りに賠償責任があるとしても、その賠償請求権は時効に因り消滅している。即ち、原告が負傷したのは昭和三二年二月二三日で、当時原告は直ちに損害及び加害者を知つた筈であるのに、三年間その請求権を行使せずに同三五年二月二三日を徒過したのであるから、民法第七二四条に因りその請求権は時効に因り消滅したと抗弁しているのに、原告はこれを明らかに争わないから被告会社主張の右事実を自白したものとみなす。然るときは被告会社の抗弁のごとく、仮りに被告会社に賠償責任があるとしても、その賠償請求権は民法第七二四条に因り時効に因り消滅したこととなるので、被告会社に賠償責任があるかどうかを検討するまでもなく、原告はこの賠償を求めることができない。

以上のような次第であるから、原告の旧訴における請求も新訴における請求も共にこれを棄却する。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 牧野進)

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